テリー・プラチェット

 

魔女になりたいティファニーと奇妙な仲間たち

魔女になりたいティファニーと奇妙な仲間たち

 

一体何を言ってよいのかわからないままに、時間が経ってしまったけれど、2015年3月12日。サイエンスフィクション、及びファンタジーの作家であるテリー・プラチェットが死去した。 いや、叙勲されているのでサー・テリーと呼ぶべきか。

 

 

プラチェットについては、昔、毎日新聞に短い紹介記事を書かせていただいたことがあった。

その時に調べて気づいたのだが、英語圏での圧倒的な人気にも関わらず、思ったほど日本語訳が出ていない。こちらでの存在感と比べると驚くほど日本ではなじみのない作家なのだ。

訳してみたいな、どこか出版社にコンタクトをとれないかな、と思ってもいたのだけれど、実際問題として、本当に日本語に訳すのが難しい。(それでも機会が与えられたら喜んでやるだろうけれど)実は結構ハイコンテクストで、その上、英語特有のダジャレが多い。

 

多作な作家であるけれどやはり代表作はディスクワールドシリーズ。特に後期、イギリスの歴史を意識的にたどるようになってからのディスクワールドものは毎回わくわくするような作品の連続だった。

新聞の発達をモチーフにしたTruthも、郵便配達をモチーフにしたGoing Postal も。

 

人種間の対立を扱い、近代化を扱い、ナショナリズムの高まりを扱い、そしてそれでいながらすべてをエンターテイメントのハッピーエンドにおさめる技量。しかも、それでいて単純な答えを出しているとは必ずしも限らない。

私は実はディケンズがとても苦手なのだが、それでもディケンズの魅力はこんな感じだったのだろうな、と、プラチェットの一時期の作品を読むたび、思ったものだ。

 

アルツハイマーを患って以降も作品を発表し続けた闘病の人でもあり、尊厳死を支持する人でもあった。

アルツハイマーを患っていることがわかったときの「私は癌で死にたかった。自分がどんどん自分でなくなっていくような恐怖は嫌だ」という言葉を私は今でも忘れることができない。

 

ある職業の理想を描くのがとても上手な作家であり、彼の作品には純然たる職業人としてのジャーナリストが、警官が、政治家が、死神が、そして「王」が、登場する。

ファンタジーを書くことは、かつては「王」を書くことだと思っていた。今の私はファンタジーを書くことは「いかに王なしでやっていけるか」を書くことだと思っている、ともどこかで書いていて、とかく王や莫大な力や人種にちょっと色付けしただけの「種族」といったお膳立てに引っ張られがちなファンタジーの世界に、多くの市井の人々がうごめき暮らす大都市アンク・モーポークを投げ込んだ彼の作品群を私はこよなく愛している。

 

無神論者だった作家には主の平安を祈るのも無粋だろう。

私は彼が新たな作品を書かないことを、ただただひたすら悲しいと思っている。

彼が『刈り入れ』Reaper Manで描いたような優しい死神が、彼とともにありますように。

 

刈り入れ (A Discworld Novel)

刈り入れ (A Discworld Novel)

 

 

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