EU離脱の話。

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EU Flagga | MPD01605 | Flickr

もう1週間ちょっと前の金曜日。

目を覚ましたら、イギリスはEUを離脱していた。

これは私にとっては(そしておそらくかなりの人数のミドルクラスの人間にとって)とても驚くことであり、当惑することでもあった。その朝の周囲の人々の緊張した顔や、早口で交わされる会話、そして不思議なまでの静かさは、本当に奇妙なことなのだけれど、2011年3月11日の翌朝、東京で感じたものに似ていた。

何かが起きている。

これから何が起きるかわからない。

本気で何が起きてもおかしくない、私がいるところは現在安全だけれど、きっと何かもっとひどいことが起きているんじゃないか、私には何もできないのかという緊迫した、それでいて奇妙に高揚した感じ。もちろんあの3月東日本大震災の時のように多くの人がなくなったわけではない。インフラに物理的な被害があったわけでもないので、一週間した今、周囲の空気はだいぶ落ち着いてきている。しかし、国民投票の結果がでた直後の、国全体が「いったい何が起きているのか」と息をひそめる様子は、なにか奇妙に震災の後を思わせるものだった。

それは、今回の離脱がまったく想定外だったからだろう。

 

もちろん、離脱派が勢いを増していると言う報道はされていたし、EUに対する不満は、もうそれはずいぶん長いことイギリス国内につもりつもってはいた。しかし、一般的にイギリスの人たちは急激な変化を好まず、最終的には専門家の知見を尊重した投票をする傾向にある、と言われてきた。そして、専門家たちはこぞってEU離脱は好ましくない、と、(私が見聞きする限りでは)発言していたのだ。

だからこそ、どれほど離脱派が押し上げてきてもおそらく最終的には止まる決断が下されるだろう、と思っていた。それは、もう、うんざりするほどに。

 

私には選挙権がないので最終的には見守るしかできない選挙ではあったのだが、おそらく選挙権があったら「うんざりしながら残留に投票」しただろうと思う。「うわー!ヨーロッパって素晴らしい!」というのではなく、「うーん、いろいろと問題もあるんだけれど総じて考えると抜けるのは得策ではないだろうな。しかも、これだけグローバル化が進んでる状況でEUを抜けたからといって一気にグローバル化の余波から免れられるわけでもないだろうな」というような至極マイナスの消去法的な選択で。

残留に投票した人たちは今でもこの選挙の結果に大きな怒りを持っているのが肌で感じられるし、それこそ今後の生活への影響を考えるとそれは十分にわかる。

それでも、投票前の段階で熱狂的にEUの理念を支持する!という人は必ずしも多くはなかったのではないかと思う。「まあ、総合的に判断すると残留にしておいたほうがいいよね」というくらいの感じ。あるいは、「EUには大きな問題があるけれど、現在の離脱派の主張があまりにも右に傾き過ぎていて怪しいので、あのグループからは距離を置いておきたい。」「離脱は後でもできるが、一度離脱してしまったら再加入は条件がわるくなるから様子見のほうがいい」といったところか。

離脱が決まった後、目に涙を浮かべて「独立してイギリスを取り戻したのだ!」と訴えていたおじさんたちとは大きな温度差がある。

そもそも、歴史的にイギリスの人たちには個人的なレベルでは旧植民地とのつながりの方が、ヨーロッパとのつながりよりも強い。白人であれば多くはアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド南アフリカのどこかに親戚がいておかしくないし、マイノリティ系だったらそれこそもっと強いつながりをインド、パキスタン、カリブ諸国との間に持っていることが多いだろう。感情的なレベルで「近い」国は必ずしも地理的に近い国とは限らない。

 

奇妙な法律を作るし、こちらが旅行で行けるのはいいけど、向こうからも貧しい人がいっぱい来てるみたいだし、ひどい場合には人身売買まがいのやりかたで東欧から働かされにきているらしい、などという話になれば(たとえば2012年10月、リトアニアからの労働者が実質強制労働のような形でイギリスの農場で働かされていたのが明らかになったこのスキャンダルなど)人間の自由な移動、というEUの理念そのものが持つ暗い面は右派左派を問わずに感じられていたのではないかと思う。*1

一般のイギリス人たちは結構知らないのだが、ここ10年ぐらいで移民関係の法律もこの国はとても厳しくなっていた。結婚当初とは比較にならないほど煩雑で高価になった手続きをするたびに、「EUの人たちは楽なんだろうなー」と私などは遠い目になっていたものだ。

金銭的にかつかつではない私でさえうらやましく思うのだから、すでに存在する移民コミュニティーにはどれだけの鬱憤が溜まっていたことだろう。パキスタン系住民の多くすむ近隣都市ブラッドフォードが離脱を支持した背景にはおそらく自分たちよりもずっと楽をしている(ように見える)ニューカマーである東欧からの移民への反感があったのではないか、と私は勝手に推測している。

 

とはいえ、本人たちが恩恵を感じてなかったとしても、しっかりと恩恵はうけていたわけで、近隣の小さな村のブロードバンドはEUの補助金で設置されていたし、大学にだって補助金は入ってきていた。先ほども書いたけれど「EU出身者はいいよなー。ずるいよなー」と私がブツブツ文句を言いながら書類を整えていた配偶者ヴィザは、配偶者のの収入によってビザの取得の可否が決まる現在のイギリスのやり方が、人権侵害にあたるのではないかということで、EUの法に照らしてその違法性の検討がなされていたはずだ。

 

移民が多くなったから病院の待ち時間が長くなった。移民が多くなったから学校のキャパシティがいっぱいだ、といった嘆きの声は、もうずいぶん長いことイギリスの社会を覆っていた。けれど、緊縮財政で25%の予算のカットを行った以上、そりゃあ、普通に考えればたとえ移民がいなかったとしてもそうした問題はある程度はでていただろう、という視点もあるわけで、移民問題というのはそうした社会のインフラがほつれている時に便利な標的のすり替えでもあったはずだ。

もちろん、移民がいたからといって社会に大きなネガティブな影響がなかった、とはいえない。ある程度の数の人間が外から入ってきた場合、ネガティブな影響もポジティブな影響もあるはずだ。ただし、EUからの移民が減れば全てが解決する、という問題でもないだろうとは思う。

 

ヨーロッパを離脱すること自体の影響はまだまだわからない。色々な見通しと憶測が飛びまくっているけれど、もしかしたらこれをうまく乗り切ってきちんと繁栄への道筋がつくのかもしれない。

経済的にはロスを被っても、自国の政府で全てを決めたい、という要求もまた、ある意味真っ当なものだ。

ただ、一つ明らかに言えるのは離脱に至るまでの道筋で国が二分されてしまったこと、そしてその中で移民というマイノリティ層がターゲットにされたことで、未だ、これほどまでに感情的に別れてしまった国を一つにまとめられそうな何かは(それが指導者であれ、運動であれ)見えていない。それが、この国の国籍を持つ子供を持ち、何が起きてもこの国とは深い関係を持たざるをえない移民の一人としてはとても切ない。

 

 

閑話休題

 

離脱が決まった数日後、我が家の5歳児がとても深刻な顔をして聞いた。

「EUはどうなっちゃったの。」

「うーん、イギリスはEUなしでやっていくことにしたのよ。」

「本当に?どうして?」

「うーん、いろんな考え方があるけれど、ないほうがうまくやっていけるって思う人がいっぱいいたのね。」

「・・・ひどい。だれも子供には聞かなかったよ。子供にかんけいあるのに!」

「・・・そうだねえ。」

「・・・マリオはどうなるの?」

「マリオ?イタリアの人?」

「え、マリオってイタリア人?なの!?ルイージも?」

「・・・・まて。君は一体、なんの話をしているんだい?」

 

問い詰めてわかったのは我が家の5歳児がずっとEUをWiiUだと思っていたこと。

テレビのニュースでコメンテーターが話しているのを食い入るように見ているなと思っていたのだが、彼の頭の中ではどうやら「イギリスのWiiU離脱」が大ニュースだった模様。

 

 

イギリスのWiiU離脱。うん、それは大ニュースだ。

 

 

 

 

*1:とはいえ、別にEUから出れば人身売買がなくなるわけでもなかろう、と言う話もあるのだが。