ブラッドフォードパジェント 2

さて、1931年のブラッドフォードパジェントは奇妙なパジェントだ。

 

というのも、大恐慌の真っ最中で、当時ブラッドフォードの富裕層の多くを占めていた織物業は軒並み苦戦していたし、倒産する業者も後を絶たなかったからで、1928年から1932年の間に、ブラッドフォードでは400に近い織物業者が倒産している。

 

じゃあ、一般市民はどうだったか、というと、主要業界自体が傾いているんだから当然と言えば当然だけれど、これもまたパジェントを開くのに適した状態にあったとは言いづらい。当時のブラッドフォードに住んでいたHarry Lesilie Smith の自伝を読むと、当時8歳ぐらいだった著者が食べるものもなくホテルのゴミ箱の残飯を他の子供達とあさっている描写が出て来て胸が詰まる。ちなみに、当時彼の両親は存命だ。両親がそろっていて、働くなり何らかの形で子供を飢えさせないようにしようと頑張っていて、それでも貧困層の子供達が残飯をあさって命をつなぐような、そんな不況、だったわけだ。

 

その中で、ブラッドフォードはパジェントを開こうと決定する。町とその織物業の宣伝のため、だ。今残っている情報だとあたかも町の人たちが全員大喜びで支援したかのように見えるけれど、必ずしもそうではなかった、という話はこの次に。