アナと雪の女王と引きこもること。

アナと雪の女王』(原題Frozen)について少し。

もう既に日本のブームは終わっているだろうし、こちらでのブームもずいぶん前だったのだが、何せ子供映画は息が長い。クリスマス商戦が始まった今、町を歩いていると否応なく微笑みかけてくるエルサとアナを見てここしばらく生活している。なのでいきおいつらつらと、この映画について考えることになる。

 

 

大ヒットした作品であると同時にその斬新さが色々語られた作品ではあるのだけれど、私が興味を持ったのはこの作品が最後の最後まで「閉じた」物語であることで、もっと言えば、「領土」としての土地に対するなみなみならぬ執着を見せていることだった。

 

塔の上のラプンツェル』の原題がTangled(からまった)で、物語そのものが絡まった運命=親子関係=感情がほどかれて行く過程であるとすれば、Frozen(凍り付いた)のアレンデール王国は最後には近隣の公爵との貿易を打ち切るわ、隣国の王子を牢に入れて送り返るわ、「鎖国鎖国する気ですか?国境凍結?」な外交判断を大胆に下している。

舞台となる中世ヨーロッパ風の世界がもしも本当に中世ヨーロッパに近いものを持っているのであれば、国際結婚など王族の職務規程内ではないですか?という気もするのでよけいにこのストーリーの流れは面白い。

 

アナの恋の相手は外国の王子から自領土の土地の精霊トロルに育てられた若者へ(しかも氷になみなみならぬ情熱を注いでいる!)と移る。「岩=土(=領土)」に見えたものが生きたトロルへ変化するシーンはそう言う意味ではとても重要で、階級は別として「国土」のお墨付きをクリストフが持っていることを如実に示している。

対するエルサは「一人で生きて行ける」と巨大な氷の城を山に築き上げる訳だけれど,男性的な山(国土)に抱きとめられるようにそびえる氷の城は「国土との結婚」を象徴的に表しているようにも見える。異性愛によるハッピーエンドが必ずしも中心に据えられていないこの作品がそれでも「どこかで見たことがある」安心感を醸し出すのは多分、国や領土の物語が通奏低音として流れているからなのではないか、と思うのだ。

 

国と結婚して独身を通した女王の話であれば、私たちは多分どこかでなじんでいるし、もしもエルサが一生結婚せずに世継ぎを残さなくてもアナはおそらく土地のことを何よりも知っていてトロルに祝福されたきわめて我が国の人間らしい青年との間に子供を残すであろうから大丈夫、という極めて保守的な安心感。

 

ちなみに。アナの英語も動きも非常にアメリカのティーンエイジャーっぽい。『リトル・マーメイド』のアリエルも幼い王女ではあったけれど、そうではない、おそらく意図的なティーンエージャーっぽさ。語尾のあげ方等々、ちょっとびっくりした。