ゲリラ・ガーデニングとその功罪

イギリスはガーデニングの国だと言われる。日本でしばしば言われる「イギリス風」ガーデンがどの程度イギリス風なのかはとりあえず横においておいて、今日はゲリラ・ガーデニングの話。

 

ゲリラ・ガーデニング。日本語ではあまりなじみがないかもしれない。私が始めてその概念にであったのもThrifty Foragerだったか、The Edible Garden であったか、テレビに出てくるガーデナーのAlys Fowlerの本だったと思う。(ちなみにこの人の本に出てくるようなThriftーー倹約の概念には多分にひっかかるところがあるのだけれど、それはまた後ほど)

 

ゲリラ・ガーデナー達はイギリスの大都市を歩いているとしばしば見かけられるような打ち捨てられた空き地に勝手に植物を植えてしまう。ゴミがポイ捨てされ、落書きがあるような汚い通りの空き家にいきなり花が咲く。打ち捨てられた粗大ごみのソファに、こぼれんばかりに満開の花。それらの光景を見ていると無償で自分たちの環境を良くしようとする人々の姿を思いおこさせて、時折微笑みたくなる。

日本語では花ゲリラ。 そこに植物を植える権利がある訳ではないので、もちろん違法である。

しかし、違法とはいえ、すでに社会運動の様相も呈していて、組織立った活動もしていれば(町ぐるみで食べられる植物をあちらこちらに植えているのがここ。)ウェブサイトもあるし、大概資金ぐりのために物を売ったりもしている。

 

 Wikipediaでは「種を蒔くだけという行為の手軽さと相まって実行する人が増えている」とあるけれど、必ずしもそんな小規模なものとは限らない。下のプレイリストの2番目に入っている動画を見てもらえればわかるように、場合によっては結構大掛かりな造園が行われてしまったりする訳だ。

 

 


The Mobile Gardeners at the Elephant & Castle - The first montage - YouTube

 

打ち捨てられた荒廃した空き地に花が咲いていた方が良い、と思うのは人情だろうし、比較的好意的に取り上げられることが多いゲリラ・ガーデニングだけれど、そういったゲリラガーデニングには問題があるという指摘が、今日のガーディアンのブログに掲載された。

But guerrilla gardening in the UK is a sign of failure; a sign that the local community is not functioning properly; that citizens are not talking to elected local councillors; that people feel isolated; that the urban environment is poor. It’s not a solution. Guerrilla gardening is a self-centered response to a situation “no one will let me do what I want so I will go out and do it anyway, whether the community wants it or not”. 

 

UKにおけるゲリラガーデニングは機能不全の兆候だ。地方のコミュニティがきちんと機能していないことの。市民がきちんと選挙で選ばれた代表と語り合っていないことの。人々が孤独を感じていることの。そして都市部の環境が劣悪なことの兆候なのだ。ゲリラガーデニングは「やりたいことはどうせやらせてもらえないんだから、みんながそうしてほしいかどうかは別として自分のやりたいことをどっちにしてもやる」という状況に対する自己中心的な反応だ。

 

問題の一つとして著者は在外種が人為的に広げられてしまうということを挙げている。

Where I live in north-east England we have a special Local Wildlife Site designation based on a community of native and alien plants that have both historic and biodiversity interest. They look messy. They are not that pretty. I’m sure most people would prefer to see masses of poppies.  

 

私が住んでいるイングランド北東部には地元のワイルドライフ保全地域があって、固有種も外来種もあり歴史的にも生物多様性の観点からも興味深い。でも、散らかって見える。それほど見た目が良いわけでもない。多分そんなものの代りにポピーの花畑を見たい人の方が多いだろう。

 

この指摘自体は順当なのだけれど、私が一番「ああ、そうだ」と思ったのは、お金の流れの問題だ。きちんと町の美化のために予算がとられて、話し合いのもとに、環境に配慮した美化緑化が行わ れるという正攻法ではなく、「ゲリラ」的に非合法でも花を植えて行く、種をまいて行く、というやり方は最終的にはガーデンデザインの専門家達を育てない。もちろん、生物多様性保存の知識をもちつつ公共空間を作って行く専門家達も。

 

それは、あまりにもよく見る対立の構図で、しかし、やはり忘れてはならない視点ではある。基本的に私はボランティア活動のある社会の方がない社会よりずっとずっと良いと思っているけれど、ボランティア活動が、その仕事の専門家の食い扶持をつぶすようになってはいけない、という矛盾。特に専門家がいた方が良い分野に於いてはお金を出して将来の専門職を育てられるようにしておくことも、また、とても重要な貢献ではある。

 

とはいえ、「生物多様性と在来種の保護に留意しつつ、地元コミュニティと政治に働きかけつつ橋渡し的にゲリラ・ガーデニングを行う」ということも不可能ではないので常に対立の関係でなければならないわけではないのだろうけれど。

 

The Edible Garden: How to Have Your Garden and Eat It

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Thrifty Forager: Living Off Your Local Landscape

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