クリスマス狂想曲

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 Flickr: ahenobarbus' Photostream

 

クリスマスが近い。

 

その焦燥感と落ち着かない感じ、はおそらく日本にいるとよくわからない。

クリスマスに向けていかに早くから準備が始められているかも、多分、想像を絶するのではないかと思う。

12月の頭、クリスマスカードが届き始める頃には、本来だったらクリスマスケーキの準備は始めていなければならない。ドライフルーツをたっぷり入れて焼き上げたフルーツケーキは少なくとも2週間、できたら1ヶ月前には焼いて、数日置きにブランデーをしみ込ませて熟成させる。

アドヴェント待降節・・クリスマス前の4週間)が始まったら届き始めるクリスマスカードはすぐにその場で開けられ、クリスマスの期間ずっと部屋を飾ることになる。年賀状のように一斉に届くものではないのだ。

 

恋人とロマンティックな夕べを過ごすのが定番の日本のクリスマスのイメージとは全く違い、こちらのクリスマスは基本的に日本のお正月に近いと考えれば良いと思う。しかも、一昔前の、日本のお正月。店がどこも閉まっていたような、あんな感じの一年に一度の祝祭だ。

家族や親戚が集まり、どこの一族にも必ず一人いる変わり者のおじさんあたりがポートワインを飲み過ぎた結果「おまえまだ就職しないのか」系の空気を読まない発言をして周囲を凍り付かせ、つまらないクリスマス番組をだらだらとワインを飲みながら見続けた結果、みんなそこはかとなく機嫌が悪くなり、甘いものの食べ過ぎで子供達はハイパーになる。主婦は(特に美味しいとは思えないんだけれど・・・)等思いつつも絶対に欠かせない定番の料理をせっせと料理する。クリスマスに欠かせない、ミンスパイも、クリスマスプディングも、クリスマスケーキも、どれも「これでもか!」というほどにドライフルーツが入っている。

昔、授業で学生さんに振る舞ったときには「・・・・本当にレーズンばっかりなんですね」とげっそりされたものだった。気持ちはわかる。(し、こちらではドライフルーツは、おならが出やすくなる、とよく言われるので、クリスマスの時期になるたびに微妙に家族の腸の具合が気になる・・・・と、これは余談。)

 

我が家はまだクリスマスディナーを用意する側にはなっておらず招かれる側だから、楽と言えば楽なのだが、それでもこの時期は頭が痛い。

何が大変といって、正月と異なり、クリスマスはプレゼントを贈り合わねばならないという縛りがあるところだ。

ただでさえ、プレゼントというのは贈りにくい。お中元なら日用品を贈っても良いのだが、基本贅沢品を、となると突然ハードルは高くなるし、ぶっちゃけた話、予算との兼ね合いも頭を痛めるところとなる。しかも、この国、日本とは違って冬のボーナスが(というか夏のボーナスもだけれど)基本的にないのである。

クリスマスに一家族が使うお金は800ポンドをゆうに超えるのではないかという調査結果もあったりで、クリスマスは結構な勢いで家計を直撃する。お年玉のように子供にだけ贈れば良いというのではないところが、また悩ましい。

年間を通してちょっとしたセールの度に豪華なバスオイルや、ティータオル等、悪くならずにプレゼントに使えそうなものを集めているのだけれど、あまり季節感のないものは贈れないし、困ったことに、我が家にはその上、12月生まれが何故か多い、という条件がさらにかかる。12月一ヶ月に買わねばならないクリスマスプレゼントと誕生日プレゼント。お金以上に頭を痛めるのが、プレゼントのセレクションだ。

 

とはいえ、午後の3時には既に外が暗くなり始めるヨークシャーに住んでいると、冬のさなかのこの時期に、人々が散財する理由はよくわかるような気分になる。

カンタベリー大司教は「お金を使うばかりでなく、クリスマスの本当の意味を考えて下さい。ものをあげるのではなくて、友人の為にベビーシッティングをしてあげるのも、素敵なプレゼントですよ」と言うようなことを言い、それはそれで正論なのだけれど、寒くて暗いこの時期に、人が欲しくなるのは、きっとそれだけではなくてみんなで集まりお酒を飲んでがははと笑いながら普段は出来ないような贅沢な気分に浸ることなんだろうな、とは思う。もしも、それがなかったらあまりにも寒々としているだろう商店街のクリスマスイルミネーションを見ながら。