The Watchmaker of Filigree Street

 「君が成長するのを、待っていた」

The Watchmaker of Filigree Street

The Watchmaker of Filigree Street

 

 おそらく日本語訳が出る準備がすでにできているのではないか、と思われる、昨年夏に出版された(おそらく強いて分類するのであれば)ファンタジー。

舞台は1883年、アイルランド独立にゆれるロンドン。また、それはロンドンに半ば見世物のような「日本人村」があった時期でもある。これだけで「あー、日本語訳が出そうだな」と思う。

そんな時代を背景に、未来を記憶する男と、ロウワーミドルクラスの主人公との、一見ありえなさそうな友情を描いたオルタナティブ・ヒストリーものだ。

 

主人公は、寡婦となった姉と甥たちの面倒を見るためにピアニストになる夢を諦めた共感覚者の事務員サニエル。単調な日々を過ごす彼は、ある日自分のベッドの枕の上に精巧な(そして見るからに高価そうな)時計が置いてあるのを見つける。製作者のサインはKeita Mori すなわち、毛利ケイタ。

華族でありながら諸々の事情で時計職人としてロンドンで孤独な生活を営んでいる日本人毛利ケイタと、サニエルは、全く異なる背景を持ちながら、親しくなり、友情を育んでいく。

しかし、二人の友情はスムーズには発展していかない。アイルランド独立を目的にテロリストたちは時限爆弾をロンドンに仕掛け、精緻な時計を作る腕を持つ上に金回りの良い毛利は犯人グループとの関係を疑われる。友人を守ろうと力を尽くすサニエル。しかし、毛利の言動に何か疑わしいところがあるのも事実なのだった・・・。

同時期に、オックスフォードでエーテルの研究をしていた男装の女性、グレースは両親から卒業と同時に物理学の研究を諦め結婚をするよう圧力をかけられている。逃げ道は、実験を多めに見てくれそうな男性と結婚して、叔母が残した遺産を相続し、自分のお金で研究を続けること。

そんなグレースがサニエルと出会い、結婚を決めたことで、サニエル、毛利、グレースの3人の人生は複雑に絡まっていく。

 

とにかく読ませる。謎が謎を呼び、ページをめくらせる。

伊藤博文が毛利のかつての上司として登場し、ギルバート&サリバンが『ミカド』の準備のために日本人村にやってくる。そのあたりの実在の歴史と物語の絡ませ方はこのジャンルの醍醐味だろう。

 

これが著者の第1作で、実はかなり荒削りな作品でもある。華族である毛利の下の名前が「ケイタ」というのは、日本人読者だったらなんとなく違和感を覚えるだろう。日本人だったらおそらく、あまり考えずに4音節の名を選ぶように思う。

日本の描写はところによっては明治のもの、というよりも、現代の日本人のやり取りを読んでいるようでアナクロニスティックでもある。イギリス側の歴史も、ポロポロと細かいミスがあるようで、すでに指摘がされている。

何よりも、紅一点であるグレースのキャラクターがあまり一貫していない。研究を第一に考えているのか、彼女の恋愛感情は一体どこにあるのか。特に後半部では、彼女の行動に一貫性がなく、そこが作品の大きな弱点になっている。

しかし、それでも、読ませるのだ。

それはサニエルと毛利が好きにならずにいられない性格造形だからかもしれないし、二人の関係性が、ある意味下手なBL小説顔負けの「良い感じ」だからかもしれない。

グレースのオックスフォードの友人のマツモト・アキラも良い。人種差別の残るあの時代のロンドンにいながら、巧みな話術ととびきり洗練されたファッションで周囲を魅了してしまう日本人皇族男性と書けば、その空気が伝わるだろうか。そして、それを背景に毛利が作った時計細工のタコ「カツ(勝?)」がいい感じでサニエルを引っ掻き回す。

 

この時代について多少なりとも知っていれば、二重に面白いはず。