Bradford Pageant 1931 「ブラッドフォードパジェント」の1

ずいぶん前に公表したことになるのだけれどブラッドフォードパジェントについて。

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というか、まずはパジェントという演劇形態について少し解説を。

 

 

日本語ではページェント、のほうがなじみが深いかと思う。これは日本にこの形態の演劇を定着させようとした坪内逍遥がそのカタカナを最終的に採用したからである。これは少なくともイギリス英語の発音からはかなりずれる。

 

いくつかの議論があるけれど、基本的には1905年のシャーボーンを皮切りに、英語圏で爆発的に流行したアマチュア歴史劇の形態で、地域の人たちを巻き込んで行われるのが通常(ということは、もちろん例外もあるわけだけれど、その話はまた後で)。その規模は非常に大きく、割と平気で3−4000人単位が演技に参加し、そのくらいが観客としてチケットを購入していたりする。もちろん小道具類もしばしば地元で作られたわけで、今回のブログの写真はブラッドフォードパジェントの大道具を運ぶグラマースクールの生徒達。

となると、なぜそれだけの人数を動員できたのか、という疑問が生まれる訳だけれど、20世紀初頭のパジェントには「教育、民主主義の涵養、良き愛国心を育み表現する」という三つの大きなお題目の柱があった。詳しいことはかつて本にまとめたのだけれど、私は、そういったお題目以上に商業的な思惑が大きく作用したのではないか、と考えている。実際の演技者はボランティアでお金を支払われる訳ではないけれど、観光客がやってくることやそれに付随する諸々の行動の変化による経済効果があったのだろうと。

今回の記事は、1931年、世界恐慌の真っ最中にブラッドフォードが行ったパジェントについて。

 

 

Pageant Fever: Local History and Consumerism in Edwardian England (早稲田大学学術叢書)

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