The Stinky Cheeseman and Other Fairly Stupid Tales

 

The Stinky Cheese Man: And Other Fairly Stupid Tales (Caldecott Honor Book)

The Stinky Cheese Man: And Other Fairly Stupid Tales (Caldecott Honor Book)

 

 随分前、おそらく上の子が6歳ぐらいの頃に頂いたのだけれど、この春下の子に読んでいたら突然上の子供が夢中になった本。というのも当然で、多分これが面白くなるのは小学校中学年以上だろうと思う。現に4歳児にはちんぷんかんぷんだった。

 

良く知られた民話をもじった作品集でWikipediaは「ポストモダン絵本」と書いている。そう、独立したエントリーがあるくらいには有名な本ではある。

 

「昔々、醜いアヒルの子がいました。大きくなって醜いアヒルになりました。まる。」のような書き換えのスラプスティックな調子も良ければ、リズムの良い文章も良い。

 

8歳ぐらい以上だったら笑えるのではないかと思う。そして、読み聞かせをしている親にとっても笑える本ではある。(そう、児童書の想定読者は、子供達だけではなく、同じ本を来る日も来る日も読聞かせなければならない大人でもあるのだった。)

 

 

カスタードの秘密

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Great British Brands - Bird's Custard | Flickr - Photo Sharing!

 

カスタードの作り方は小学生ぐらいの頃に教わった気がする。

卵黄、ミルク、砂糖をゆっくりと練り上げて作る。

しかし、イギリスで「カスタード」といえば、卵を使わずコーンスターチ(こちら流にいえばコーンフラワー)と砂糖、香料、着色料を練り上げたものだ。

 

初めてイギリスに来て供された「カスタード」なるものが、全く卵の味のしない代物であることにはかなりびっくりしたし、「・・・これが噂に聞くイギリスの変な料理か?!」と妙な納得をしもした。

 

もっとも、昔からずっとイギリスのカスタードがこうだったわけではなく、この国の「カスタード」がこういうものになったのは大体1840年代以降だ。なぜなら、これは一つの企業の売り出した「カスタードパウダー」がもとで起きた変化だから。

 

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https://www.flickr.com/photos/lancefisher/8285578683/

 

今でもイギリスのスーパーでは良く見かけるこれ。アルフレッド・バードのカスタードだ。

薬屋でもあったアルフレッドの妻はイーストと卵アレルギーに悩まされていた。

ということで、妻のために彼が製造したのが「卵なしカスタードパウダー」。今でもイギリスのカスタードと言えば定番のこれだ。今でも100%に近いブランド認知がされている。これが売り出されたのが1837年。軽くて日持ちがするこのカスタードは第一次大戦中英国の兵士達に配給もされている。

ちなみに、イーストアレルギーでパンが食べられなかった妻のために1843年にはベーキングパウダーも発明している。

 

バードカスタードは正直言って私にはあまり美味しいものだとは思えないのだけれど、多くのイギリス人にとっては子供の頃の記憶と密接に結びついた「懐かしい」味だ。本物のカスタードなど作った日には「美味しいけど・・・これ、カスタードじゃないよね?」と言われることを覚悟するべし。

 

そして、「うん。これがカスタードが食べられない妻のために夫が売り出したものなんだな」と思いを馳せながら食べるのが吉ではないか、と最近は思い始めている。

気付け薬のにおい

 

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pharmacy at blists hill | Flickr - Photo Sharing!

19世紀を舞台にした映画などを見ると気絶した女性の鼻のあたりにガラスの小瓶を動かしているシーンを目にすることがよくある。Smelling salts--いわゆる気付け薬だ。

 

かなりロマンチックなイメージのある薬ではあるけれど、その原材料は主にアンモニアと酢だ。ということで匂いは大概想像がつく。ひどい匂いを隠すために上からエッセンシャルオイルをかけたりもしたようだけれど、トイレが臭いときに芳香剤をいくらまいても良い匂いになるわけでもないのと同様、たいしてましになったとは思えない。

 

そういうわけで、これから映画や時代劇で女性が倒れ、気付け薬をかがされているシーンを見るときには「ああいう感じの匂いを鼻の下にもってこられているんだな」と思うと良い。悲劇的なシーンだったらよけいに悲しさが増しそうな気がする。

 

永遠の、薬

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Apothecary Hall - National Botanic Garden of Wales | Flickr - Photo Sharing!

 

 

西洋医学、東洋医学という言葉はあたかも西洋の医学がずっと現代のもののような印象を与えるけれど、西洋の医学もかつては迷信に近いようなものだった、ということは多少こちらの文学や歴史をかじったことがある人間だったら知っているはずだ。

 

科学が発達し始めた19世紀の薬も、毒性があったり、常用すると依存性があったりするものがあって、「これはごめんこうむりたい」というものが多い。

 

その中でも「これは絶対・・・・」と思うものの一つが「アンチモン丸薬」 Antimony pill--またの名をeverlasting pill 、つまり「永遠の薬」である。

 

アンチモンは金属で、人体に対する毒性がある、と言われている。

アンチモン丸薬とは、その金属を丸い、玉状にしたもので、もちろん消化されるようなものではないしーそれはもう、上から飲めば下から出てくるだろう、という代物だ。

 

19世紀の人々は嘔吐や下痢を「体の中を浄化する作用」と考えた、と聞いたことがある。

東洋医学の「好転反応」に似た発想で、人間の考えることはどうしてもどこか似通ってしまうのだろう、とこの手の話にぶちあたる度に思う。

 

アンチモン丸薬は、嘔吐や下痢を起こすための薬だ。

小さな金属のボールを飲み込む。そして、吐いたり下痢をしたりした後、排泄物の中から、そのアンチモンの固まりはまた取り出され、洗われてーーあまり考えたくないことだが、再び薬品棚にしまわれたという。次に家族の誰かが体調を崩すまで。

なるほどeverlastingな薬ではあるが、まったくもってぞっとしない。

個々人に所属する「薬」ではなく家族で使うもので、場合によっては何世代もがその「薬」を使ったという。

 

 

Victorian Pharmacy: Rediscovering Forgotten Remedies and Recipes

Victorian Pharmacy: Rediscovering Forgotten Remedies and Recipes

 

 

運動会

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20070717_0012 | Flickr - Photo Sharing!

 

6月の終わり頃上の子の学校で運動会が開かれた。

日本の小学校の運動会に初めて行った時、夫は矢継ぎ早に色々と質問を投げかけてくれたものだったけれど、なるほどこちらに来たときにはSports Dayと運動会は全く似て非なるものだわ、と納得した。

 

当時の質問は

なぜ運動会に一日費やすのか。

なぜ運動会は紅白に分かれるのか。なぜ緑組や青組がないのか。

なぜ1年生から6年生まで一緒にやるのか。

なぜ見ている親達が話せないくらいの大音響で音楽をかけるのか。

などなどで、もう、これは「うーん、この国では今のところそういう風にやっているから、そうなんじゃない?」としか答えようがないのだが、こちらで運動会を経験した時「あー、なるほどね」と、初めて目から鱗がボロボロ落ちた。

 

まず運動会は低学年と高学年に分かれて行われる。イギリスの小学校は4歳から始まるので、確かに小さい子も一緒ではとても難しいだろう。それだけでなくこうした行事に「全員が参加すべし」とする意識もあまりないのだと思う。成熟の程度が違うのだから、わかるレベルで一緒にいれば良いだろう、という感じだろうか。

でも、学年が分かれているということは同時に、小さい場所でも運動会が出来るということだし、それは同時に親が子供の活躍を近くから見ることが出来る、ということでもあって、子供が一生懸命飛び跳ねたり駆けたりしているのをそばで見るのは楽しい。

芝生の広場でいくつかのエリアに分かれて、音楽はなし。徒競走のピストルさえなく、笛でスタートが切られる。日本の運動会に比べればずーっと静かだ。入場行進もない。でも、子供達の歓声と親達の応援があるから特に寂しいわけでもない。

運動会が行われるのは午後昼食後の数時間。

イギリスの6月は最も天候の良い時期だけれど、さらっと湿度の低い昼下がり、子供達が走ったりボールを投げたり、卵レースをしたりするのを笑ったり手を叩いたりしながら眺める。イギリスのSports Dayはそう言う行事なのだった。

 

子供達は紅白に分かれる代わりに、いくつかのHouseに分かれる。これはクラスとは別物で、一度決まったら何年も所属することになる。上の子の学校の場合は火、水、地、風でそれぞれ赤、青、緑、黄色だ。兄弟姉妹は同じHouseに所属するよう学校がわが調整しているという。勝っても負けても家族は一緒なのだ。

 

 

最初は随分違うものだな、とびっくりしたイギリスの運動会だけれど、引っ越したばかりの頃は1歳児を抱えていたので、午後数時間で終わり、大きな音のない運動会は正直ありがたかった。親にとって嬉しいのは子供の成長を目の当たりに見ることでそれはどちらも同じではあるけれど、やはりSports Dayと運動会は似て非なる行事なのではあった。

 

 

 

小学校の制服の話

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Girls' School Uniforms | School Dresses | Kids | M&S

 

イギリスの公立小学校は基本的に制服がある。といっても学校ごとにデザインが決まっているわけではなく、色と形が指定されているのだ。

「男子。赤のポロシャツ、グレーのスエットシャツ。黒のズボンないしは半ズボン、グレーの靴下。女子、赤のギンガムチェックのワンピース、赤のポロシャツ、グレーのズボンないしはスカートやワンピース、グレーのカーディガン。」といったような調子で。

 

 

親はそれをもとに予算に応じてスーパーや、デパート、制服専門店などで子供にあった服を買う。大概の小学校はお古の制服を格安販売するシステムをPTA主導で持っているので子供が小さくてすぐに服がきつくなる低学年の時期はそれを利用することも出来る。

 

別に決まったデザインがあるわけではないので、よく見ると女の子のワンピースなど微妙にチェックの大きさが違ったり、ウエストの切り替え位置が違ったり、襟のワンポイントの飾りが違ったりする。けれど、全員そろうと見事に統一されているし、個々の子供達の好みにも何となく合っている。女の子はリボンや髪のゴムさえ、学校の色で統一していて本当に可愛い。シャツがポロシャツなのも小学生にはとても良い。

近くの地域の学校は色がかぶらないようにしてあるので、遠くから見てもどの学校の子なのかすぐわかる。

 

これは結構良いシステムだと私は思っている。

何よりも、親にとってありがたいのは、朝の忙しい時間に「この服はやだ」「何着れば良いの?」というごたごたがないこと。みんなが同じものを買うので必然的に制服は値段の割には質が良く、洗いもきくし、乾きも早い。着心地も良いらしく、学校から帰って来てもみんな制服のまま遊んでいる。我が家の子供達にとって、私服とは、週末と学校の休みの間に着るものだ。

 

不思議なのはこれだけ緩やかに見えるのに、どこかの店がどうみてもおかしい服を売り出したりしないこと。規範がどこにあるのかはわからないけれど、どれも、きちんと制服としておかしくない。変な話だけれど、日本だったらどこかの企業が裾にレースたっぷりのヴァージョンや、アニメのキャラクターがワンポイントのヴァージョンなど売り出しそうだよな、と思うのだ。

 

制服の規範については、そういうわけで、面白いなと思ってみていたのだけれど、イギリス北部に暮らして三年目の最近、初めてその規範の強さにちょっとびっくりしたのが先日。

 

ヨークシャーのこの地域はエスニックグループによる棲み分けが激しい。

だから、町を歩いていると自分がエスニックマイノリティであることをひしひしと感じることになるのだが、電車で来ることが出来るこの町には定期的によその町の小学校が遠足にやってくる。それは、つまり、白人が9割を超えるこの町で、普段は目にしない服装や行動を目にする、という意味でもある。

その日、公園を歩いていたのはパキスタン系の子供達が集まっている小学校の子供達だった。目を引いたのは女の子達で、こぞって、ワンピースの下にグレーの制服ズボンをはいていたのだった。

足を出した格好をさせたくなかったのだろうな、ということは容易に想像がつく。しかし、ズボンだけというのも、おそらくだめなののだろう。それにしても、共布、あるいはにたような色でズボンを作ってサルワカミーズにしてきちんとデザインしたものを誰かが売り出しそうなものなのに、確かに考えてみれば、普通のスーパーにはーーオンラインストアにもーーサルワカミーズ制服などというものはないのだ。

 

 

イギリスの公立校におけるイスラムの服装は、2004年のシャビーナ・ベガムの件からもわかるように議論があるところだけれど、不思議な気分になってしまう一件ではあった。

 

 

 

 

ニコラス・ウィントン氏 追悼

http://ichef.bbci.co.uk/news/624/cpsprodpb/15226/production/_83966568_1c259f2d-ee7f-4018-afc1-6b77e87d453a.jpg

 画像は Nicholas Winton's children: The Czech Jews rescued by 'British Schindler' - BBC Newsから。

 

ほぼ一年ほど前になるか、ニコラス・ウィントン氏に関するエントリーを書いた。29歳の若さで669人のユダヤ人の子供をナチス・ドイツの強制収容所から救いイギリスへ送った人だ。

 

イギリスのシンドラーとも称されるその人が、イギリスでは例外的に暑かったこの7月1日、106歳で亡くなった。それはちょうど、何年も前に、彼の成功したオペレーションでは再大規模になる241人の子供がプラハを列車で出立した記念日だったという。

これだけ多くの子供達の生命を救った人だけれど、命を救われた子供のうち370人以上が今だ連絡も取れておれず、功績の全容は実は見えていない。

ウィントン氏が106歳ということはその当時10歳前後だった子供達も、もうご高齢だろう。未だにコンタクトがとれない人々のリストはこちら

 

 

ウィントン氏と、そして彼が救った全ての、かつての子供達に平安がありますよう。